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櫻井紫苑(さくらい しおん)は学生課の掲示板の前で溜息を漏らしていた。条件の良いバイトを紹介してもらっても、二、三ヶ月で首になってしまう。イヤ実際首になっている訳ではないのだが、辞めざるを得ないのである。

 そんな紫苑が不意に後ろから肩をポンと叩かれ、振り向くと学生課の職員の山口が立っていた。
「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」
この山口には、条件の良いバイトを幾つも紹介してもらったのに本当に申し訳なくて合わせる顔が無い。

「高校の中間考査の結果が出る頃だと思いまして……又ダメでしたか?」
「はい、僕は人に勉強を教えるのは向いていないみたいです」
実際今まで三人教えてきたが、成績が上がった生徒は一人も居なかった。上がるどころか、大幅に下がってしまい家庭教師を続けられる状況ではなかったのだ。
「でも生徒には辞めないで、って泣かれたのでしょう?」
「えっ?どうして判るのですか?」

ふふっ判ってないのは櫻井君だけなのだけどね。二十八年生きてきたけど、今まで見知っていた全ての中で三本の指に入るだろうと思われる美人だ。そんな家庭教師に教わる年頃の男子生徒が平静で居られる筈がない。
きっと教科書など見もしないで、端正な横顔を眺め、口から発せられる公式を愛の囁きと聞き「わかった?」などと見つめられると「愛している?」と聞こえているのだろうな?
内心その生徒達に同情してしまうよ、と山口は心の中で呟いていた。

「又家庭教師お探しかな?」
揶揄するような山口の問いに力なく紫苑は答える。
「イエ、もう家庭教師もコンビニもファミレスも無理です。工場の流れ作業とか、倉庫整理とか、そんな黙々とやれるのがいいです」
紫苑は本当に人と関わるバイトは避けたいと思っていた。自分のせいで成績が下がったり、今までいい雰囲気だったりした職場が、剣呑とした雰囲気になるのはもうイヤだった。世間では自分の力など通用しないのだ、と思い知らされているようで辛かった。
早く大人になりたいのに。ならなければならないのに。

「いい所がひとつありますよ、アパレル関係で棚卸とか入庫してきた製品のチェックとかの軽作業が」
山口が言い終わらないうちに「お願いします!!」と紫苑はそのバイトに飛びついた。
「昨日求人が来たばかりだから、まだ貼り出しはしていなかったのですよ。櫻井君は運が良かったですね」
山口の言葉に紫苑の顔が嬉しそうに輝いた。

「ちょっと十分程待っていてくれる?紹介カードを切って来るから」
そう言い残して、山口は事務室へと消えて行った。そんな山口を待ちながら紫苑は初夏の兆しを見せる空を見上げた。

―――もうすぐ一年。

紫苑が二十歳の誕生日を迎え数日経ったある日、祖母に呼ばれて部屋に行くとそこには弁護士の南條賢介が鎮座していた。
「南條先生ご無沙汰していました。お元気でしかた?」
「ああ、紫苑も元気そうだな?」
などと挨拶を交わしていると傍でにこにこ様子を見ていた祖母が、全く思いもしなかった事を口に出したのだ。

「紫苑、私はこの家を売って有料老人ホームに行くことにしました。あなたには大学の近くにマンションを用意してあります。来週からそこでお暮らしなさい」
さも来週からちょっと旅行に行ってくる、って感じの気軽さで祖母は言った。いったい何を言われたのか、紫苑は暫く理解できなかった。
「全て南條先生にお任せしてありますから」
「何ですか?老人ホームって?どうして?おばぁ様は、まだそんなお年ではないじゃないですか!」

普段物静かな紫苑にしては、珍しく興奮した口調だった。
「それにどうして僕が居るのに老人ホームに行かなければならないのですか?まだ僕は学生で力も経済力も無いけど……あと数年したら、ちゃんとお祖母様を支えて差し上げられます」

今にも泣きそうな紫苑を余所に祖母は微笑んだ。
「あら最近の老人ホームって凄いのよ?特にあちらは、病院も隣接しているしお食事も美味しいし、環境も素晴らしいのよ」
頬を上気させて愉しそうに語る祖母を見ながら紫苑は、まだこれは夢?何かの冗談?という顔をしている。
「じゃ、私はお友達と約束がありますから、詳しいことは南條先生に聞いて下さいね」
祖母は何か言おうとする紫苑に背中を向けて部屋を出て行ってしまった。


紫苑の母方の祖母の小山田咲(おやまだ さき)は気丈で上品な女性だった。娘夫婦を亡くして十歳の紫苑を引き取り育てて来たのだ。娘の忘れ形見というだけではなく本当に紫苑が可愛かった。
孫って目の中に入れても痛くないと言うけどまさにその通りだった。

でも甘やかしてばかりは居られない、人間いつ何時何が起こるか判らない。甘やかしたい気持ちを抑えて随分と厳しく育ててきた。男の子だけど、行儀作法、一般常識、書道、料理などと自分が教えられる全てを教えて来たと思っている。お陰で何処に出しても恥ずかしくない青年に育ってくれた。
頭も良い、咲に負担を掛けないように国立大学にも受かってくれた。実際経済的には何の心配も要らない資産を咲は持っていたが、多分紫苑はその事を詳しくは知らなかったのだろう。


―――三ヶ月前に咲は癌の宣告を受けたのだ。初期の段階なので、一度の手術とあとは抗癌治療で五年再発しなければ……。
但し、このことは紫苑には打ち明けていないし、そのつもりもなかった。絶対紫苑には知られないようにと、それが咲の願いだったのだ。
それから今は二代目になった南條弁護士や隠居している南條の父、恵吾の尻を叩いて大急ぎで色々な手続きをさせたのだった。

そんな祖母咲の胸中を知らぬ紫苑は(お祖母様は僕から解放されたかったのだ)と寂しく思っていた。でもそのうちに自立して迎えに行くから。それだけが紫苑の支えだったのだ。


そんな状況で紫苑が一人暮らしを始めてもうすぐ一年……また暑い夏がやって来るのだ。

「櫻井君待たせたね」
事務室から出て来た山口は紫色のカードらしき物を手にしていた。


山口は自分の机の鍵付きの引き出しから更に鍵のかかった小さな金庫を取り出すと
中から5色に分けられたカードを取り出した。
迷わずに紫のカードを抜き、他は又大事に閉まって鍵を掛けた。

そして携帯電話を掛ける。
「あー山口だけど、今いいかな?紫切るけど何時がいい?」
と唐突に用件だけを話し出す。
電話の相手、堂本紫龍は銜えていた煙草を「えっ?」と言う言葉と一緒に
落としそうになった。

「紫?随分突然だなぁ?」
「そうか?俺は2年前から決めていたけどな。時期を見計らっていたのさ」
「そうだなぁ、じゃ明日の午後3時に寄越して」
「了解、綺麗なパンツ履いておけよ」
「なんだそれ?」
「まぁそれくらい覚悟しておけって事さ」
そう言うと山口はさっさと電話を切ってしまった。


一方ここ株式会社DOMOTOの社長室では
秘書の浅田哲也が銀縁の眼鏡をずり上げるように
「紫ですか!」と。普段冷静な男に似合わない声を発した。

「あぁこの5年で初めてだ」

若干28歳で株式会社DOMOTOの社長である堂本紫龍と
学生課の職員の山口は高校からの同級生であった。
2代目である紫龍が会社を継いだのが23歳、晩婚だった父が35歳の時に
やっと紫龍が生まれたのだった。
お陰で、大学を卒業して会社に入り2年目で社長の座を言い渡されたのである。

中学の頃から経営学を学び大学生になる頃には親から借りた資金を元に
IT企業を立ち上げ、在学中に返済も済ませている。
そんな2代目を年齢だけで反対する重役も居なかった。
社長だった父が会長の座に納まりまだ充分に威光があったというのもあるが、
5年過ぎた今では、誰一人と文句のつけられない実績を上げていた。
安心した会長も最近は夫婦で旅行三昧の生活を送ってるようだ。


T大学の学生課に配属された友人に5色のカードを渡してあるのだ。
白、黄、青、赤、紫
ここ5年で赤と紫は切られていない。
白は本人が希望してるから、面接だけでもしてくれ程度
黄色は少しは使えるかな?青は使えると思うよ程度の色分けである。
実際青でバイトに来た学生は今までに6人居るがその全員が
今正式に就職して駆け上がろうとしている。

山口の目はとても厳しいと思ってる。
いくら本人が希望しても気に入らない学生は白のカードさえ切らない。
だから白でもカードを切ってもらえる学生は他の会社でも充分上位で通用する人間だ。

それが赤を飛び越えていきなり紫となると
どんな学生が来るのか楽しみでない筈がない。
紫の意味は「絶対」である。
山口の人を見る目の自信とプライドに掛けてのカードである。


その裏の裏があるようなカードを渡された櫻井紫苑はその意味を知る筈もなく、
山口は「明日の午後3時にそこに書いてある住所の会社に行って面接しておいで、
受付に行けば分かるようになってるから、一応簡単な履歴書持って行って。」
とその重みも感じさせない、お気楽な発言をしている。
勿論何の説明も助言もない。

「はい、ありがとうございました。受かったら今度はクビにならないように頑張ります」
渡されたカードをちらっと見て、紫苑は丁寧にお辞儀する。

「おお、頑張って」内心愉しくて仕方ないのだが、
顔には出さずに激励してあげた山口だった。



まだ7月になってにのに暑いなぁとブツブツ言いながらエントランスに入ると
程よい空調の効き具合にほっと息をつく。
自分の担当する会社を回って社に戻った深田は
昼も食べ損ねてしまったのだが、それよりも今は冷たい飲み物が飲みたかった。

ここは1・2階に幾つものテナントが入り、社の受付は3階になっている。
一流の店が出店しているブランドビルのようになってるが
2階には買い物に疲れた人たちの喉を潤すためのカフェが入っている。
一般にあるカフェよりも少々高めではあったが、
それでも厳選した豆で美味しい珈琲が飲めるとなると、社の人間も結構利用していた。

深田も毎回は無理だが、仕事が上手く行った時や
給料後には自分にご褒美にと足を運んでいる。
なんか俺安上がり?と思わない訳じゃないが、
他の店に2度行けてしまうのに、と考えるとやはり贅沢な気分にもなってしまう。

このカフェは会社の直営だ。
社長もやり手だよなぁ、数十万もする買い物をした後じゃ1杯千円の珈琲でも
高いと思わない客が大勢いる。
そして社長の凄い所はカードが使えない店にしている事だ。
ブランドショップでは散々カードで買い物をさせ、ここのカフェは現金オンリー。

「カードしか持ち歩かない人間は信用してない」それが社長の考えだ。

俺もその意見には賛成。
たまに居るんだよなぁ、
「君、私は現金を持ち歩かない主義なんでなぁ、ここ立て替えておいてくれないか?」
などと、自慢げに言うせこいオヤジが。
そしてその立て替え金が返ってきたためしがない。

そんな事を考えながら、残り少なくなったアイスコーヒーの氷を掻き混ぜていると
斜め後ろの席に座った客が「珈琲お願いします。」とオーダーしていた。
声の感じで若い男だと判ったが、今時珍しく丁寧な奴だなぁと思い
何気に振り返ると黒の半袖のポロシャツを着た色白の美青年が座っていた。

すぐに目線を戻したのだが、深田の心臓はバクバクしていた。
『何あれ!?男だよなぁ、何か凄くないかぁ?』
もう一度確認したい、振り返りたい、でもジロジロ見ちゃ拙いよなぁ?
などと自問自答していると、何気に周りも息を呑んでいるのが感じられる。
『良かった、俺だけじゃないんだ・・・』と妙に安心してしまった。

「お待たせ致しました」心なしかボーイの声も上ずってるように聞こえる。
「ありがとうございます、いい香りですね」
「ご・ご・ごゆっくり!!」上ずってるどころじゃないなこのボーイ・・・

とうとう飲み干してしまった・・・空のグラスを前に一大決心をするかのように
「アイスコーヒーお替り」言ってしまったよ俺。
その一言がきっかけのように、周りから「お替り」の声が相次いだ。

凄い、席に付いて5分かそこいらで
この美青年は5千円分の売り上げに貢献しちゃったよ。
もう一度盗み見るようにそっと後ろに目線を回せば
乳白色の陶器よりも白い細い指で何気なくカップの淵をなぞっている。
少し緊張した面持ちで小さい溜息をひとつ。
まるで映画のワンシーンのように、そこだけ空気が違うのだ。


その型の良い唇がカップに触れるたびに、『俺カップになりたかったかも?』
などと馬鹿な事ぼーっと考えてしまっていた。
ちらっと左腕の時計に目をやり、意を決したように伝票を掴み席を立つ青年を見て
慌てて自分も伝票持って、レジへと続く。

セカンドバッグから財布を取り出し、会計をしている青年を背後から覗くように見ると、
財布には銀行カードと並んで、ゴールドのクレジットカードが納まっていた。
『げっ、やっぱお坊ちゃまか?あの若さでゴールドだもんなぁ・・・・
何気に時計も高級そうだし・・・』

俺なんか視野にも入らないんだろうなぁ?
昼飯代4日分を支払ってもその価値あったけどな。
さぁ、あとひと頑張りしよう!!
そう自分にカツを入れて歩き出した。


2時50分櫻井紫苑はDOMOTOの受付に居た。
「すみません、3時に約束している櫻井と申しますが・・・」
受付嬢は社交的な微笑みを浮かべて
「少々お待ち下さいませ」と丁寧に答えてくれた。

「櫻井様ですね?伺っております。20階にも受付が御座いますので
そちらの方へお願い致します。」
そう言って左手のエレベーターを案内してくれた。

礼を延べてエレベーターに向かう紫苑の背中を頬を染めて見送る受付嬢に
「どうしたの顔赤いよ?」と慣れ知った深田が声を掛けてきた。
「あっ深田さん、お疲れ様です・・・だって凄い素敵な方なんですもの。
見惚れても仕方ないと思いません?」
「で?彼は何処へ?」
「うふふ・・・20階よ」
それが何を意味してるかは鈍い深田にでも判る。
20階には社長室と秘書課と役員室しかない。
平社員ではまず足を踏み入れる事が無い階だったのだ。

「なんだぁやっぱり雲の上の人だったのかぁ」
と意気消沈する深田に向かって、
「えーっ?深田さんって男の人が好きだったんですかぁ?」
と興味深々で言われるまで、自分が一目惚れしてしまったのが
同性だった事に気が付かないでいた。

次の来客に向かって営業スマイルを向けてる受付嬢に
言い返す事を諦めて、エレベーターに向かって歩き出した。


一方20階の社長室では、秘書の浅田が「もうそろそろですね?」と
ワクワクした面持ちで櫻井の訪問を待っていた。
多分今回の面接を社長である堂本よりも待ちわびていたのだ。
そろそろ自分の左腕を育ててみたいと。
勿論秘書課には優れた人材は居たが、自分が直接育てたいと思う程の者は居なかった。

「何か随分楽しそうじゃない?浅田?」
「だってあの山口が紫切ったんだよ、どんな素敵な女子学生が来るか期待大だよ」
「そう、その上俺が1週間で落ちるとまで言いやがった。」
「バカラのワイングラスだっけ?」
「ああ」
忌々しそうに煙草を揉み消しながら、堂本は窓の外の街を眺めていた。

その時秘書課の受付から「櫻井紫苑様がお出でです」と内線が入った。
「通して」

間をおいてコンコンとドアがノックされる。
「入りなさい」

「失礼します」とすーっとドアを開けて入って来たのは
美人の女子学生ではなく、超が付く程美麗な男子学生であった。

浅田は想像していなかった男子学生という事よりも
その立ち姿の美しさに思わず見惚れてしまった。
見た目だけじゃなくて、育ちも良いのだろう。

「秘書室長の浅田です。」
「櫻井紫苑です、宜しくお願い致します」
学生課からの推薦状と履歴書を持って来ましたか?」
はいと返事をして書類を手渡しながら、紫苑は内心
『倉庫の整理や検品だって聞いてたのに、もしかして間違えて来てしまった?』
黙って履歴書に目を通している浅田に向かい
「もしかして間違えて来てしまいましたか?倉庫の仕事だって聞いてたんですけど・・・」
どう見てもこの立派なビルと、その最上階に位置する社長室と倉庫が結びつかない。

「イヤ間違ってはいない」
といきなり窓の方から低音の声が響いてきた。
緊張していた紫苑は窓際に人が居たことすら気づいていなかったのだ。
ビクッと体がソファから飛び上がりそうになってしまった。

浅田はくすっと失笑しながら、
「あぁ紹介が遅れましたが、彼がここ株式会社DOMOTOの社長の堂本紫龍です」
紫苑はすくっと立ち上がり「T大学3年の櫻井紫苑です。宜しくお願い致します」
と綺麗な姿勢でお辞儀をした。

堂本は浅田から渡された履歴書の住所欄を見た時に少し眉を動かしたが
そこには触れず、「一人暮らし?家族は?」
「はい、1年前までは祖母と暮らしていましたが、今は一人です。両親は他界しました」

「そう・・・・大学は何か勘違いしたかな?倉庫の仕事は今間に合ってる。」
それを聞くとがくっと肩を落として「そうですか・・・・」と残念そうに呟く。
「ここでの書類整理のバイトならあるが?やるか?」
「えっ?はい、やらせて下さい」
『良かったぁ、倉庫整理も書類整理も同じような事だよなぁ』と紫苑は胸を撫で下ろした。

「ところで良い時計をしているね?」堂本の問いかけに
「はい、祖母が二十歳のお祝いに長く持てる物をとプレゼントしてくれた時計です」
右手でそっと時計を抱くように答えた紫苑の瞳は何故か寂しそうだった。
「その時計が幾ら位するか知ってる?」
「えっ?じ・じゅうまんはします?」自信なげに答える紫苑に向かい
「そうだな、とにかく大切にした方がいい、私は席を外すからあとは秘書の浅田に聞いて」

浅田は畏まりました、と頭を下げながら堂本を見送ると
「さて、櫻井君、今後の話をしましょうか?」
と紫苑に向き直った。


浅田と櫻井が社長室で話しを詰めてる頃
堂本は同じフロアの応接室で山口に電話掛けていた。
「おい!男だとは言わなかっただろう!」
「女とも言わなかったけど?」
「じゃ何で俺が1週間で落ちるんだよ?」
「おや?好みじゃなかったですか?」
「そういう問題じゃない!」
「櫻井綺麗だろ?何回綺麗って思った?
思った回数が多ければ多い程・・・・わかる?
じゃ、1週間後楽しみにしてるよ」とあっさりと電話を切られてしまった。

全く腹立たしい・・・・そりゃ白くて長い指、形の良い爪見て綺麗だと思ったさ。
頬のラインも良かったなぁ、寂しげな目元も・・・きりっとした口元も・・・・
短い時間しか一緒に居なかったのに、いくつ綺麗さを上げるつもりなんだよ?
やばい、山口の策に陥ってしまう。
カフェで珈琲でも飲んでこよう堂本は気分を変えるべくカフェに向かった。

2階のカフェは自分の珈琲好きが高じてオープンしたような店だから頻繁に足を運んでいる。
一般席の奥にきっちりVIPルームも作ってある。
勿論一般には使用されない堂本だけの専用シートである。

カフェに入ると、「冷たいのを、それと店長を呼んで」と言いながら奥へと消える。
ノックの後「失礼します」とアイスコーヒーを運んできた店長に向かい
「客足はどうだ?」
「そうですね、最近暑くなってきてますし、
冷たい飲み物を求めるお客様も多くなりましたし
夏の賞与も出てる企業も多いですので、結構繁盛しております」
「そうか、まぁ頑張ってくれ」

「そういえば、今日の午後に凄い美青年客があって、近くの席のお客様がこぞって『お替り』を申されてたそうですよ」
楽しそうに報告する店長に向かって堂本は
「もしかして黒のポロシャツ?」と聞いてみた。

「えっ?流石社長、もう情報が入ってきましたか?珈琲を運んだ菊池君なんか
後で鼻血出してましたよ、白い項が官能的だとか何とか言って」
それを聞て『俺は項なんて見ていない!』何故か不機嫌になってしまう堂本だった。


「賢介さん、お願いがあるんですけど今夜会えませんか?」
紫苑は弁護士の南條賢介に電話していた。
「いいよ、紫苑のお願いを断れる訳ないだろう、今夜マンションへ行くから」
 紫苑はバイトに必要な保証人を賢介に頼もうと思っていた。唯一の血縁者祖母は長野の老人ホームだ。いらぬ心配は掛けられない。賢介とは物心付いた頃から見知っているし、今の紫苑にそういう事を頼める者は彼しかいなかった。
 基本的に紫苑は一人暮らしのマンションで自炊生活していた。両親の遺産など管理していたのは祖母だったが、紫苑が二十歳になった時全てを弁護士に託した。成人しているのだから本人が管理すべきなのだろうが、まだ若い紫苑が管理するには、あまりにもその額は多すぎた。
 弁護士である賢介の話だと、マンションの管理費から水道光熱費税金に至るまで、全てのライフラインは一冊の通帳からの引き落とし、紫苑の手を煩わせる事などひとつもない。笑いながら「三十年は何もしなくていいぞ」と賢介に言われている。そうして社会人になるまでは、毎月十万円の生活費を現金で貰っていた。
 ライフラインが確立されている上では、学生の紫苑が必要なお金などたかが知れている。元々派手に生活している訳ではないので、毎月かなりの額が残ってしまい今月は必要ないと言っても、決め事だからと渡される。出来る事なら必要な生活費は自分でバイトして稼ぎたい。自分の全てが祖母の負担になっているのではないかと、不安になってしまう紫苑だった。

 紫苑と一緒に生活を始めた時はまだ祖母の咲は四十九歳だった。自由に生きていた祖母にとって紫苑はお荷物だったのではないか? と紫苑はいつも考えてしまう。だが、紫苑は優しくて厳しく、そうして美しい祖母が大好きだった。早く一人前になり再び一緒に暮らしたいと紫苑は願う。
 紫苑は十二月の祖母の六十歳の誕生日に、自分で稼いだお金で記念の贈り物をしてあげたいと思っていた。
夕飯の準備をしながら、明日からのバイトに夢を膨らませていた時に玄関のチャイムが鳴った。賢介だと思った紫苑は確認もせずにドアを開けた。
「早かったですね?」
 だが、ドアの前に立っていたのは見も知らずの男性だった。
「あのぉ、どちら様でしょうか?」
「はぁ? 明日から君の雇用主の堂本です!」
 と、かなり憤慨している様子の男性に紫苑は驚いた。秘書の浅田とはあの後色々打ち合わせや話をしたけれど、社長とは五分程度しか顔を合わせてない上、緊張していてきちんと見ていなかった。
(あぁ失敗、もしかして働く前に首?)
「申し訳御座いませんでした!突然の事で面食らってしまいまして・・・スミマセン」
「まぁいい、突然で悪いのは俺の方だ」
(俺、今まで忘れられた事があったっけ?)
「部屋には上げて貰えないのか?」
 紫龍は自分でも随分非常識な事を言ってしまったと思ったが、忘れられてたショックで思わず脅すように言ってしまった。だが紫苑は、そんな事も気にせずに中に招き入れる。紫龍はダイニングの様子を伺い口を開いた。
「悪い食事中だったのか?」
「いえ、料理中です。もし宜しければご一緒にいかがですか?」
 いくら雇い主とはいえ、一度会っただけの男を確認もせずに部屋に入れ、挙句には食事に誘う? 何か無用心じゃないか? と思いはしたものの、テーブルに並ぶ懐石のような和食を見ると、紫龍の腹の虫が急に騒ぎ出した。
「これ全部櫻井君が作ったの? 凄いね」
「はい、祖母に料理を習ったもので、和食が中心なんです」
 はにかむような笑顔が色っぽいと思いながら、紫龍は紫苑の顔を見詰める。
 その時「ピンポーン、ガチャ」と何の為のチャイムかと思うような音がした。
「紫苑!元気だったかぁ?」
 声も大きいが体も一八五センチの紫龍よりもまだ大きい男が入ってきた。
(えっ? 一人暮らしじゃ? もしかして同棲?)
 同棲という発想が出てくること事態がもうおかしいのだが、それに気づかない紫龍を鋭い目で男が睨む。
「誰だ?」
 紫苑が慌てて大男に紫龍を紹介する。
「賢介さん、この方は明日から僕がバイトする所の社長さんだよ。彼は今度保証人になってもらう古くからの知人で南條賢介さんです。弁護士をなさっています」
「堂本です」
「南條です」
 剣呑な雰囲気の中、お客が増えた事に紫苑だけが嬉しそうである。
「賑やかな食事になりそうですね。一人で食べてもあまり美味しくないですから」
「そうだな、久々に紫苑の手料理頂こうかな?」
 そうして三人でテーブルに着いた。
「本当に紫苑の作る料理は美味いなぁ、嫁さんに来いよ」
「ふふふ・・・賢介さん、酔っ払っている? 僕はお嫁さんを貰う方だよ」
「いや、お前は俺の嫁さんになれ!」
「すみませーん、そこの体育会系弁護士先生、それセクハラじゃないんですか?」
 堂本も結構酔っている。だが、この弁護士よりも先に潰れる訳に行かないのだ。紫龍は自分ではかなり酒に強いと思っていたが、この大男なかなか潰れてくれそうになかった。
「ふたりとも仲良しだね・・・・・・嬉しいな」
「誰がこんな奴!」
 二人同時に口にして面白くない様子で紫苑を見るといつの間にか、小さな寝息をたててソファに凭れ掛かっていた。
「紫苑・・・こんな所で寝たら風邪ひくぞぉ」
 もうその声はさっきの酔っ払いの声ではなかった。紫苑を寝室のベッドへ寝かしてくると、その後の行動は機敏だった。食べ残しを片付けたり、汚れた食器を洗ったり大男らしからぬ器用さで、あっという間にテーブルは綺麗になった。
「酔った振りだったのか?」
「いや、酔っていたけど、俺ザルだから」
 笑う顔はもう弁護士の顔をしていた。

「なんか、昼間会社で会った時とは雰囲気が違うなぁ……思ったより子供っぽかった」
 じっと一点を見つめていた南條が重い口を開く。
「紫苑は、本来無邪気な子供っぽい子だったんだけどな。あの夜が全てを塗り替えてしまったんだよ」
「あの夜?」
「あぁ……火事で両親をいっぺんに亡くしちまった夜だ。紫苑は小山田の家に出かけていたから無事だった。
火災を知らされて一緒に駆けつけた時には火の海で手の施しようがなかった……紫苑も見た。たった十歳の子供の目の前で両親が焼け死んで行った。ガクガク震える体と心をまだ十歳の子供が支えきれる筈がない。そのまま気を失って、目が覚めたのは二日後の通夜の夜だった。そして、通夜でも葬式でも紫苑は涙を流さなかった。泣けば楽になるのに、泣けば現実を見つめられるのに……あいつはあの日から泣けない子になってしまったんだ」
「どうしてそんな大事な話を初めて会った俺に話す?」
「さぁな? でも紫苑を守る人間は一人でも多い方が助かるからな。ところで社長さん、そろそろ帰れば? どうせ同じマンションだろ?」
「知っていたのか?」
「当たり前だ、このマンションの購入手続きをしたのは俺だからな。セキュリティ、施設・設備は当然のことオーナー、施工会社、最上階の主まで調べるさ」
「へー、じゃあ此処に住んでいるって事は合格だったという事か?」
「まぁな……」
「なんだか煩い親父が付いているって感じだなぁ」
「五月蝿い! せめて兄貴と呼べよ」
「ふーん、兄貴で甘んじるのか?」
「ああ、一生傍に居られるからな」
「そっ、じゃ社長様は帰ろうとするかな? 弁護士先生はお泊り? あ、肝心な事を忘れていた、これ社員証渡しておいてくれ」
「ふーん、たったこれだけの用事で今まで散々飲み食いしたわけ? それと、紫苑の保証人には俺がなるから」
「なんだよ、弁護士先生もたったそれだけの事で俺以上に飲み食いしたわけ?」
「五月蝿いさっさと帰れ!!」
 賢介は罵声を浴びせながら、初めて会ったのに、紫龍に対して昔からの友人みたいな気がしたのは俺だけじゃないよな? などと思いながら紫苑の寝顔をもう一度確認に行き、その頬にキスをしてからクローゼットから毛布を引っ張りだし、大男には少し窮屈なソファに横たわった。




※未公開分を少しずつ加筆修正してアップいたします。

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